学芸員のひとり言(その6)
球団バッジ概論


 当時の子どもたちにとって、自分のかぶる帽子が、れっきとした「野球帽」である・・・と断言できる条件の1つが、正面に燦然と輝くご贔屓球団のマークだったことは前にも触れましたが、それと同等か、それ以上に大切なポイントであったのが、いわゆる「球団バッジ」です。様々な方法で入手したカラフルで貴重なバッジを、どれだけ数多く自分の帽子に飾り立てられるか・・・が、ある意味ではその帽子全体の”価値”を決めるとさえ言っても過言ではありませんでした。子どもたちからすれば、バッジの付いていないシンプルな帽子など、むしろ無粋極まりないものでしたし、走るたびにジャラジャラと音を立てつつ、バッジを付け過ぎて帽子自体が形崩れを起こすくらいで、ちょうどよかったのです。今回は、そんな球団バッジを見て行くことにしましょう。

  球団バッジ・・・とは、金属やプラスチックなどで作られた、安全ピンで留めるバッジのことで、主に球団ロゴやチーム名、ペットマークなどがデザインされていた3cm程度のものです。帽子屋さんで帽子を買う時にあらかじめ付けられているものもあるのですが、基本は駄菓子屋などで、クジやお菓子のおまけなどで入手します。手に入れたバッジは自分の帽子に取り付けるのが普通で、当時の子どもたちにとっては“もう1つの大切なコレクターズ・アイテム”であった、野球や仮面ライダーのカードなどと同様、それらは交換の対象にもなりました。
 バッジ自体は簡便な作りのものだったため、帽子に付けたままで残っているケースは極めて少ないのですが、当時を思い出しながら、現在かぶっている西鉄ライオンズの帽子で、当時の子どもたちがかぶっていたバッジつき帽子を再現してみました。それが右の写真です。どうですか? この写真をご覧になって「あ!これは俺もやったなぁ・・・」なんて思われる40歳代以上の”元少年”もきっと多くいらっしゃることでしょう(笑)。
 今のような”大人買い”なんて言葉もなければ行動もない時代のことですから、どんなバッジを手に入れられるかは、まさに”運任せ”! 必ずしも好きなチームの、好きなデザインのバッジばかりを集めることはできませんでした。また、その飾り立て方も人それぞれで、ひたすら自分の好きなチームのバッジばかりを飾る子どもがいたかと思うと、とにかくチームに関係なく飾りまくり、それこそ”数の多さ”で勝負する子どももいたのです。また、12球団をバランスよく揃えて「オールスターだ!」と自慢する子もいましたし、バッチ自体の”価値”を重視し、価値の高い順に目立つ位置から飾って行く子もいました。
 それぞれの子どもが、誰の意見にも左右されず、それぞれの価値観に基づいて独自の”美学”を追求して行くことのできたのが、まさしくこの”バッジ飾り”だったのです。

 子どものころから大切に保管していたバッジに加え、大人になってから改めて探し回ったバッジなど、現在収蔵しているバッジを見ながら状況を推察するに、こうしたバッジが世の中に出回り始めたのが1960年代、多くの子どもたちの帽子を飾るようになったのは1970年代になってからではないかと思われます。初期のころは単純に鋳型を通しただけのようなものでしたが、徐々に色つきのものが出てくるようになりました。
 もちろん、当初のころは意匠権も著作権もあれこれ言われないような牧歌的な社会でしたから、デザインも実にまちまち・・・。しかも、初期のバッジに関しては「球団名の綴りすら間違っている」ようなバッジさえ平然と売られていたのです。
 左の写真は、そんなバッジの中から代表的なものを集めたものです。南海ホークスの綴りは、本当は”HAWKS”ですし、近鉄の綴りは”BUFFALOES”が正解ですよね! それがこのバッジでは、それぞれ”HAUKS”と”BUFFALOS”になってしまっています(苦笑)。また、近鉄が”バファロー”から”バファローズ”へと名称を変更させたのは1962(昭和37)年ですから、右下のバッジは、完全に時代が合いません。今の世であれば、こんな商品が世に出回ることは100%あり得ませんし、そんなことでも起こった日には、それこそ大炎上で責任問題が追及される・・・なんてことにもなってしまいましょうが、このころは作る方も売る方も、そして買う方も、そんなことには全然気を留めなかったのです。ルーズというかノンキというか、とにかく鷹揚でいい時代でありました。
 それでは、こうした状況を踏まえながら、それぞれの特徴的なバッジについて触れて行くことにしましょう。

帽子屋バッジ

 子どもたちにとって、自分の帽子に飾るバッジは、基本的に駄菓子屋かおもちゃ屋で買って集めるのが一般的でしたが、一部の帽子メーカーの製品に(たぶん、販促を目的としたサービスなのではないかと思いますが)は、帽子屋さんの店頭に並んだ時点で、すでにバッジが取り付けられていたものがありました。これを当時の子どもたちは”帽子屋バッジ”と呼び、最も貴重なものとして扱いました。というのも、駄菓子屋で売っていた「野球クジ」の陳腐なプラスチック・バッジとは違って、金属製の色とりどりな、豪華なものが多かったからです。
 子どもたちにとっては、この「金属製」というところが大きなポイントで、せっかく買ってもらった帽子にバッチが付いていなかったりすると、途端にダダをこねる・・・というくらい、ステイタスの高いものでした。確かに、駄菓子屋のそれとは違って、デザイン的にも優れたものが多く、金属独特の質感が、子どもにとっては、心地よい満足感を与えてくれるものです。帽子屋バッチと駄菓子屋バッチの交換比率は1:20くらいだった・・・と申し上げれば、当時の子どもたちが、いかに高い評価を与えていたかがおわかりいただけますことでしょう。時代が新しくなるに連れてバッジも少しずつカラフルなものになり、写真の通り、色数もどんどん増えて行ったようです。1980年代に入るころになると、左の写真のようなフル・カラーのものも登場してくるようになりました。これくらいになりますと、もはや駄菓子屋バッジとは比較にならない出来映えでして、子どもによっては、ちょっとの傷もつかないよう、いつもは取り外しておいた場合もありました。今で言えば「よそ行きの指輪」みたいなものでしょうか・・・(笑)。

金属バッジ(色つき)

 基本、”帽子屋バッジ”は、帽子1つにつき1個しか手に入れられないので、実質、交換に出すことなどあり得ない・・・というのが普通でした。となると、友だち同士で交換の対象となる、要するに「トレード要員にできる」バッジでの”最上位”に位置するのが、いわゆる”色つき”の金属バッジだったのです。
 帽子屋バッジのところでも触れましたが、子どもたちにとっては「金属製かどうか?」というところが、まずはそのバッジの価値を決める大きなポイントで、その上で”色つき”であるかどうか・・・ということが重要になるワケです。1980年代に入ると、プラスチック製のバッジでもカラフルなものが出始めましたが、たとえ何色使われようとも、プラスチック製であった瞬間、そのバッジに対する喜びは消えてしまうのでありました。クジであれば、間違いなく”大当たり”のところにしか入っていない色つき金属バッジ・・・。巨人や阪神などといった人気球団のこうしたバッジを手に入れた日にゃ、帽子の前方、球団マーク脇など、とにかく一番目立つところにドーンと飾り付けたものです。

金属バッジ(金色)

 ”色つき”でなければ、金色のバッジがもてはやされました。ま、こうなると単純に”色の違い”ってだけの話(苦笑)なんですが、当時の子どもたちからすれば意外と大きな違いでして、「お前のジャイアンツは銀だろ!俺のは金だから!」みたいな感じで、あきらかに1ランク上の扱いをしていたのです。
 ですから、クジなどで選べる同じ箱の中に金色のバッジと銀色のバッジが入っていると、子どもたちは当然ながら金色のバッジから選んで行ったので、うっかり駄菓子屋に行かないでいると、クジ箱の中に銀色のバッジしか残っておらず大ショック・・・なんてこともあったのです。

金属バッジ(銀色)

 金属の素材として金と銀の違いを語るのであれば大変な差でしょうが、金属バッジとは言っても所詮はアルミ・・・。要するに金色っぽく着色しているかいないかの違いだけ。ですから、クジでもこれらは”ハズレ上位”の中にまとめて入っていることが普通でした。
 ただ、やっぱりそこは子供心をくすぐるワケで、銀バッジの場合、金に比べるとどうしても引けを取ってしまうのです。これで人気球団でもなかった日にゃ、その価値はプラスチック製のバッジとさほど変わりませんでした。

プラスチック製バッジ

 ハッキリ言って「一番最下位のハズレ」が・・・これ(苦笑)。番号合わせのクジでも、60番台以降のデカい数字なんかを引き当てた時、「ハイ、この箱の中から好きなのを1個選んでもってきな!」みたいな感じになるワケです。友だち同士の交換でも、よほど変わったデザインでもない限り、そのバッジ1個では誰も相手にしてくれませんでした。その地域の子どもたちが通う駄菓子屋さんなんていうのも決まりきっており、自転車をこいで遠くの商店街まで出掛けたところで、せいぜい2〜3軒の駄菓子屋を回るのが精一杯でしたから、みんながみんな「同じハズレのプラスチック製バッジ」を持っているんですものね(苦笑)。ですから、たまに旅行や帰省などで別の地方の駄菓子屋さんに出掛けたりすると、そこでクジにチャレンジすることはよくありました。そうすれば、同じハズレのバッジでも、デザインが異なることがありましたから・・・。
 巨人や阪神などの人気球団はともかく、右下に写っている太平洋のようなパ・リーグの不人気球団ともなりますと、いくら持っていても意味がないので、最初から選ぼうとしませんでした。でも、今となっては、巨人や阪神などよりも、こうした太平洋のバッジの方がレアであり、高値で取引されている・・・というのですから、ホント皮肉な話です。

 バッジの裏側には、このように安全ピンが付いていて、これでもって帽子に留める形となりますが、ご覧の通り、その作りは非常に粗末なものでしたので、右下のバッジのように、安全ピンの留め具が簡単に折れてしまい、せっかく帽子に飾っても、あっという間に取れてしまって紛失してしまうことも少なくはありませんでした。帽子をかぶって野球をしたりドロケーをしたり、山の中を走り回ったりザリガニ釣りをしたりするワケですから、知らない間にバッジが外れてしまい、ふと気がつくと自分の帽子に何個も安全ピンだけが刺さっている・・・なんていう大マヌケなことになるのも珍しくはなかったのです。
 最近では、安全性の問題もあってか、こうしたバッジを帽子にジャラジャラ付けながら走り回る子どもの姿も見られなくなりましたし、何よりも駄菓子屋自体でこういうバッジを売ることもなくなりました。今では形をピンバッジに変え、球場に足を運ぶ多くのファンのユニフォームを飾っていますが、子どもにとっては、立派な「勲章」、ぜひ復活させて欲しいものです。



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