「ナンバー1」のプライド
〜 東海道本線のEF66 〜



(東海道本線 沼津にて)


 その日は、関東地方でも寒い風が吹き荒れていました。本当であれば、家の中でミカンでも食べながらぬくぬくしていたくなるような、そんな日でありました。そんな日まで銀箱を抱えて出掛けるわけですから、ファンというのも因果なものですが、そんな寒さを押してでも出掛けたくなるだけの「魅力」が、東海道にはあったのです。それは、ゴハチの荷レ・・・。電暖機が揃う東北・上越口と違って、東海道口の荷スジは、すべて蒸気暖房でまかなわれておりました。凍てつくような寒空の下、すべての寒さをぶち壊すようなSGスチームをもうもうと吐きながら疾走するゴハチは、それだけで充分、絵になったのです。寒ければ寒いほど、出掛ける意味もあったのでした。
 ダイヤの関係上、上り・下りのスジを無駄なく撮れるのが、三島から静岡までのあたり・・・。ファンたちは、東京を朝早く発つと、各々のポイントへと出掛けるのが常でありました。
 長駆、下関からやってきたゴハチは、沼津に着くとひと息を入れます。乗務員交代はもちろんのこと、カマによっては給水をする場合もありました。東京まであと少し・・・。スチームを大きく吹き上げ、気合いを入れ直して出発して行きます。こんな1コマ1コマが、ファンにとっては素晴らしい景色でありました。
「関ヶ原の雪がキツいらしいよ! 貨レはみんなウヤってるらしい」
「荷レも上りはベタ遅れだってよ・・・」
「今日の36レは36号機なんだけどなぁ・・・」
冬場の東海道では、いつも関ヶ原の大雪が、カマたちを悩ませていました。関ヶ原から遠く離れた、雪とは全然関係ない東機ですら、関ヶ原越え用に可動式スカートを装備したゴハチがいた時代です。こうした遅れは、決して珍しくも何ともありませんでした。ファンも、半ばあきらめの境地・・・。
 案の定、36レは2時間以上遅れてやってきました。いつもピカピカな米原区の36号機も、今日はどこか疲れ気味です。自慢の7枚窓をしっかり閉めたまま、慌ただしく出発して行きました。今日もめでたく、36号機をゲット! ファンたちも、それなりの満足感を胸に抱きながらカメラを銀箱へ収め、ノンビリと東京方面の上り電車を待ちます。
 そんな時、中線にゆっくりと滑り込んできたの列車を見て、ファンたちは凍り付きました。

「とびうお・・・だ」

そこに来たのは、本来であれば12時間以上前にここを通過しているはずの鮮魚専貨だったのです。誰ともなく「とびうお号」と呼ぶようになったこのスジは、その名の通り、西海で取れた新鮮な魚を満載して夕刻に下関を出発し、その名の通り、ブルートレイン顔負けのスピードで山陽・東海道路を駆け抜け、明け方に築地市場へ到着するという、まさに「貨物列車の花形中の花形」でありました。貨物列車でありながら列車名で呼ばれるのも異例ならば、このスジを通すためだけに築地市場への専用線が存在しているということも異例・・・。並の特急列車よりも遥かに凄い列車だったのです。担当するのは、これまた「貨物機のエース」である史上最強の電機、EF66・・・。貨物用のカマでありながら特急マークを背負うスーパー・ロコでありました。
 今と違って、貨物列車の大半は、貨車1輌1輌で出発地と到着地が異なる「普通貨物」列車でありました。こうした場合、操車場で次々と編成を組み替えながら全国ネットを築いていますので、1列車でも遅れが出ると、影響は全国に波及します。そのため、通称「24(ニーヨン)繰り延べ」と言って、遅れが大きい列車 については、丸々24時間繰り延べての運転となりました。編成を組み直す必要のない専貨といっても、大幅な遅れが出ることがわかれば、運休になるのが普通でした。でも、積み荷は鮮度が命・・・。いくら保冷装備のついている貨車とは言っても、悠長に24繰り延べなどさせてくれるものではありません。雪が降ろうが嵐が吹こうが、意地でも築地まで届けなければならないものでありました。EF66にとっても、東海道は「庭」のようなもの。ここでの遅れに甘えていては「最強の電機」のプライドが泣くというものです。1分でも遅れを取り戻し、少しでも早く、築地に着かねばならないのでありました。
 ファンたちの驚きと、少々不安そうな視線の先で、スカート周りに雪を抱いたままのEF66は、急いで乗務員を交代させると、独特の硬いモーター音を唸らせながら重い荷を牽いて本線上へと出て行きました。その間、ほんの1〜2分・・・。栄光のトップナンバーは、自分のプライドに賭けて、最後の難所、丹那越えへと挑んで行きます。騒々しいまでのモーター音の後に続く保冷車たちは、あまりにも対照的な静かさを湛えながら乾いたジョイント音を残して行きました。

「なんか、カッコよかったなぁ・・・」
「俺、ロクロクのこと、こんなカッコいいと思ったのは初めてだ・・・」

 そこにいたファンたちから、自然とEF66を讃える言葉が飛び出します。それもそのはず、実際、誰も彼も、こんなにカッコいいEF66を見たのは、生まれて初めてだったから・・・。東京口ブルートレインの牽引機がEF65PFからEF66へと交代し、名実ともに「東海道のエース」に君臨するようになるのは、それからもう少し経ってからのことでした。


 


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